【絶滅動物004】ニホンアシカ
■ニホンアシカ
学名 Zalophus japonicus
英名 Japanese Sea Lion
界 : 動物界 Animalia
門 : 脊索動物門 Chordata
亜門 : 脊椎動物亜門 Vertebrata
綱 : 哺乳綱 Mammalia
上目 : ローラシア獣上目 Laurasiatheria
目 : ネコ目(食肉目) Carnivora
亜目 : アシカ亜目(裂脚亜目) Pinnipedia
科 : アシカ科 Otariidae
亜科 : アシカ亜科 Otariinae
属 : アシカ属 Zalophus
種 : ニホンアシカ Z. japonicus
1975年以降生息の情報は得られておらず、
絶滅したものとされている。
■生態
オスは体長230~250cm、体重は最大で560kgと巨大。
メスはオスと比べ体長180cm、体重120kg程度と小柄だがそれでも十分に大きい。
(ドイツ人成人男性の平均身長が180.2cm)
「ニホンアシカ」の名前の通り、日本近海に多く生息しており日本中どこでも見る事が出来たと言われている。
各地方でその姿が見られる為、「ミチ」や「アシカイオ」など、各地の方言で様々な呼び名があった。
江戸時代の文献やシーボルトの日本動物誌にもニホンアシカについての記述が見られる事があり、
明治維新頃の日本沿岸域におけるニホンアシカの生息数は、3~5万頭以上と推定される。
・長谷川雪旦(1778-1848) 「魚類譜」よりアシカ図
岩礁や海蝕洞を生息環境とし、大きな回遊などは行わなかった。
主にタコやイカ、魚類を食し、サメやシャチが自然界における天敵であった。
ニホンアシカは一雄多雌型で、オスは十数頭のメスとハーレムを形成する。
※一雄多雌型
哺乳動物に多く見られる。一般的に広く知られている動物では「ゾウアザラシ」なども一雄多雌型。
言葉だけ聞くとチャラチャラしたイメージを持ってしまうかもしれないが、
実際にハーレムを形成できるのは「メスを巡るオス同士の血みどろの争い」に勝利した個体のみである。(強い個体の遺伝子を残すシステム)
■絶滅まで
1900年代までは日本各地に生息していたとされる。
絶滅の主な原因は狩猟による乱獲や駆除。
19世紀末から20世紀初頭にかけて多くの生息地で狩猟や駆除が行われた。
これによりニホンアシカは次々と絶滅に追いやられる事になる。
やがて、ニホンアシカの棲息域は竹島などの一部地域に狭められていった。
※狩猟、駆除について
ニホンアシカの肉は不味く、食用には適さなかった。
狩猟の目的は主に表皮や油であり、特定の部位は漢方薬として使用された。
また、昭和初期にはサーカス用途にも捕獲されていた。
駆除の歴史は古い。
1720年以降の浦賀では幕府の役人によるアシカ狩りが例年100年以上にわたり行われたとされている。また、アシカが網を破るなどの被害を発生させる為、明治中頃から漁師によるアシカ駆除は競って行われた。
・竹島周辺での乱獲
竹島周辺のアシカ漁は、1900年代初頭から本格的に行われる。
アシカ漁では平均して年に1300~2000頭が獲られており、
1904年からの僅か6年間で14000頭も捕獲された。
1905年にアシカ漁が許可漁業に変更され、
共同で漁を行うための企業「竹島漁猟合資会社」を設立したという経緯があった。
それでも捕獲される個体数が多かった為、ニホンアシカの個体数は減少していった。
※許可漁業について
農林水産大臣や都道府県知事の許可を受けなければ営めない漁業。
上記のケースは1905年2月22日に同島の所属が島根県と決定されており、島根県が変更。
当然ながら個体数が減ると毎年の捕獲数も減少する。
1935年頃には年間捕獲数20~50頭と、とても少ないものとなっていた。
そして、捕獲数が激減した事や太平洋戦争勃発の影響で、戦中アシカ漁は停止される事になる。
・戦後
戦後はアシカ漁に限らず、マッカーサーラインや李承晩ラインにより日本漁船は竹島周辺での漁が禁止され、これ以降、日本漁船によるアシカ漁は行われていない。
※マッカーサーライン
第二次世界大戦後、日本を占領統治していたGHQが決定した日本漁船の活動可能領域。
※李承晩ライン
マッカーサー・ラインの廃止を目前に韓国大統領・李承晩の海洋主権宣言に基づき、
韓国政府が一方的に日本海・東シナ海に設定した軍事境界線。(韓国では「平和線」と宣言)
日本国籍や中国国籍の漁船が海域内での漁業を行うと韓国側によって臨検、拿捕、接収、銃撃を受けた。
(このラインは1965年に廃止された)
肝心のニホンアシカについてだが、1950年以降50~60頭の目撃例などがあり、
1958年竹島周辺には200~500頭程度の少数の個体が生存するとの報告がある。
が、ニホンアシカの生息目撃数は段々と減っていき1975年最後の目撃例を最後に生息の情報が得られず、絶滅したものと見られている。(正確には最終目撃例から50年が経過していないことから、記載は「絶滅危惧種」)
・戦後、個体数が減少し絶滅に至った経緯は何なのか?
これについてはいくつかの見解が示されている。
1.日本海の汚染による生育環境の悪化
2.韓国による竹島の軍事要塞化
3.在日米軍の軍事演習実施など…
※補足
1の日本海の汚染については日本からの大量のビニール製品や
ソビエト連邦の原潜や核廃棄物の投棄などが原因
ニホンアシカを最終的に絶滅に追い込んだ原因は上記のような説がいくつか出ているが
なんにせよ根本的な原因は、それまでの大規模な乱獲や駆除である。
photo credit: muzina_shanghai via photopin cc
コメント
人間って、地球上の動物の中で最悪ですね。ほかの動物の目から見たら、悪魔のような動物、なんかつらくなりますね
ざ